第5回報告
日時 | 平成27年6月12日(金) 12:00~15:00 |
会場 | 大阪倶楽部 〒541-0042 大阪市中央区今橋4-4-11 Tel:06-6231-8361 |
次第 | ●講演 森口透氏(天野到氏) ●森口透氏を囲むアフタランチョンの座談会 |
参加者 | 14名 |
アフタランチョンの座談会のスタイルで、文学作品に結晶した追憶の産業遺産を探訪することを企図した第5回産業遺産探訪は、6月12日(金)12時より今橋四丁目大阪倶楽部で開催され、講師・幹事を含め14名が参加した。朝には重く覆さっていた梅雨雲も、午後には消え去り青空となった。
天野到氏(1965年卒)が昨年12回にわたって「粉体技術」誌に連載された「北オハイオの寒い風―ある日米特許係争の記録―」が題材になった。これは1980年代、神戸製鋼がアメリカへタイヤ加硫プレスを輸出しようとした時、アメリカの同業会社が、受注阻止の一環として仕掛けた特許訴訟に、当事者として関わった経験をもとに創作された小説である。天野氏は「森口透」のペンネームで執筆されている。(小説の全文は右写真をクリックするとご覧いただけます。)
昼食のコースが進み、コーヒータイムになった頃、天野氏が「小説を書き始めた経緯など」から話された。㈱神戸製鋼所を定年になった後、大阪・梅田にある米国総領事館に、政治経済専門官として勤務を始めたが、神鋼時代に比べ自由になる時間がたいへんに増えた。夕方5時半以降と週末がほぼ完全に自分の時間になった。さらに日・米の祝日の両方が、休日となるおまけさえ付いた。
この時間を使って何か趣味以上のことがしたいと思っていたところ、大阪文学学校のことを知り、1999年4月から同校に通学を始めた。それまで、司馬遼太郎、藤沢修平、井上靖などの小説は好きではあったが、文学にはあまり興味がなかったけれども、入学してから予想以上の刺激を受け、小説を書き始めることとなった。2004年から仲間と同人雑誌「あべの文学」を作って編集委員を勤め、大阪文学学校機関誌「樹林」とともに継続して発表の場所としている。2013年には小説集「イージス艦がやってくる」を編集工房ノアより上梓した。本書は当日の参加者全員に配られた。
大阪文学学校は1955年、詩人小野十三郎氏らが創立、現在生徒数約450人、講師数20人余り、谷町六丁目に本拠があり、天野氏は講師もされている。卒業生からは、芥川賞、直木賞などの受賞者が輩出している。
以上の天野氏の自己紹介のあと、いろんな立場からの発言が活発に行われた。参加者は、クラスメート、神戸製鋼OB、その他顔見知りの間なので、事件の内容、文学作品としての評価、日本とアメリカの企業社会、その他、遠慮の無い発言が続いた。
文学作品が評価されるには、一般的にハッピーエンド、成功話でなく、悲劇のスタイルを取らなければならないとの暗黙の約束ごとがあるようである。この小説はある文学賞の最終候補になったが、めでたし・めでたしで終わり、物足りないとの理由で受賞には到らなかったそうである。