五十年会(S25卒)報告

日 時 平成29年5月15日(月)
場 所
下間邸
出席者
2名
 平成29年5月15日、下間邸と河久(大阪駅前第3ビル最上階)において開催、残念ながら出席者は2名(下間、小澤)でしたが、現在の活動状況、同期メンバーの近況など話し合うと共に京機会の状況等話し合いました。今後、出席者を増すために付き添いと一緒に温泉などで同期会をする計画も考慮中です。会員数が少なくなってもお互いの連絡は出来るだけ続行したいと考えています。次回は平成30年5月第3月曜に開催する予定です。

日 時 平成28年5月16日(月)
場 所
下間邸
出席者
2名
 平成28年5月16日(月)予定通り下間邸にて開催しました。
 残念ながら出席者は2名(下間、小澤)でしたが、下間邸の家庭的な雰囲気の中でお互いの近況や過去の楽しかった同期会の想い出などを話しました。特に下間君の今年2月の南印度への15日間に亘るエネルギッシュな旅行には驚愕の至りでした。尚、50年会会員が卒業時40名でしたが、6月時点で8名となりました。が、例会は来年度も5月第3月曜日に開催する予定です。

日 時

平成27年5月18日(月)
場 所
下間邸
出席者
3名
 平成27年5月18日下間邸にて開催しました。出席者は4名(下間、森川、福井、小澤)でしたが、家庭的な雰囲気の中で元気よく最近の状況など話し合いました。
 また、下間君の海外活動の一つ「ブータン紀行」の上映など鑑賞、そのタフさに驚愕しました。
 次回は平成28年5月第3月曜に開催する予定です。

日 時

平成26年5月19日(月)11:00〜14:00
場 所
下間邸
出席者
7名
 今回から会員下間君の邸にて開催することになった。出席は(下間、福井、森川、小澤)の4名で、家庭的な雰囲気の中で話が弾んだ。欠席会員には全員の近況報告を配布した。
 次回は来年5月第3月曜日に開催する。

日 時

平成25年5月20日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
7名
 当初6名の出席予定が1名体調不良で欠席(小澤、下間、長尾、森川、福井の5名の出席、出欠の返信ハガキに近況を書いて貰い近況集を配布し、欠席者には郵送することにした。)集まるのはいつも同じメンバー数名になってきたので、今のあり方について色々と話をし、更に検討することにした。幹事は、福井から小澤氏に交代した。合田、眞部の訃報があった。 

日 時

平成24年5月21日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
7名
 当初9名出席予定が2名体調不良で欠席、少し淋しいが、7名出席にて下間頼一兄より2年前参加された「アラビア湾クルーズ」のお話しを映像付きで伺い、大変楽しみ、学ぶことも多く、一同大いに感嘆す。
 次回も「大西洋クルーズ」のお話しをして頂くことにしました。我々の学年は40名卒業しましたが、現在20名が生き残り、そして元気な人は10名位いです。出席者夫々健康状態についての話しが、主体で、来年も元気で会えるよう願った次第です。 次回は、平成25年5月20日(月)、本年と同じ大阪倶楽部にて開催の予定です。

日 時

平成23年5月16日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
9名
 当初10名出席予定が1名体調不良で欠席。昨夏前幹事小澤兄の提案で卒業60周年記念文集を昨秋発刊し一区切り付いた所で年1回の例会を開催す。出席した9名中健常者は3名に過ぎず、あとの6名は夫々に斗病で苦労しており1人々々がその苦労話の近況報告となるも体調を取り戻した何人かの諸兄とは久し振りの再会を喜び合い、又来年5月21日(月)の平成24年度例会で会うことが出来るようお互いの健康を祈り、名残りを惜しみつつ懇親会食会を終わりました。来年の例会では下間頼一兄が、昨秋参加した「アラビア湾クルーズの報告−高楼都市ドバイとアラビアンナイトのマスカットを訪ねて−」と題するスピーチとパワーポイント上映を予定しています。50年会各位の奮っての御参加を切に願っています。 当番幹事:福井紀生・合田英之(合田記)

日 時

平成21年5月11日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
8名
 風薫る爽やかな季節、春季例会は予定通り大阪倶楽部で開催された。
 昨年50年会今後の運営方法について全員にアンケートをとったがその結果を参考にして今後の運営を定めた。今後は例会の開催を年1回とし、5月の第3月曜日に大阪倶楽部で行いことにした。次に太田君から「本州北端3岬の旅」について現地の状況を詳しく聞き参考になった。その後、会員の近況など話しお互いの交流を深めた。
 次回は卒業60周年にあたる。平成22年5月17日(月)11時に大阪倶楽部で懐かしい共通の記憶を甦らす思い出話に花を咲かせることになった。

日 時

平成20年10月20日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
7名
 仲秋の候、秋季例会は予定通り大阪倶楽部で開催された。今回は食事を挟みながら、出席者全員のフリートーキングで、日常生活、健康に関する問題並びに対処方法、余生を有意義に過ごすための活動等多方面から面白い話を聞くことが出来た。また五十年会会員は2年後の2010年に卒業60周年を迎える。お互いに健康面に欠陥が出てくる人も増えて来ており、今後の例会をどうするかについても話し合った。アンケート方式で全員の意見を聞き次回の例会で結論を出すことにした。  その他、会員の動向、京機会の情報等を報告、次回は平成21年5月11日(月)大阪倶楽部で開催することを決め、散会した。         

日 時

平成20年5月12日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
9名
 新緑の好季節、春季例会は予定通り大阪倶楽部で開催された。卓話は「大阪倶楽部の歴史」と題して、(社)大阪倶楽部の半澤常務理事にお願いした。大正元年創立後、関西名士のご努力により大阪の歴史に大きく寄与された経過を年代に沿って詳細に説明され、南欧風の様式に東洋風の手法を加味した建築及び内部の諸設備などを話された。そして今後も情報交換の場として仕事の息抜きとして数々の努力をされていることなどをお聞きし、感銘を受けた。次いで全員より近況報告、次回は平成20年10月10日(月)大阪倶楽部での開催を決め、散会した。  

日 時

平成19年10月22日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
9名
 木屑の香り漂う好秋、秋例会は有意義に開催された。今回より幹事は下間・小澤となった。
 卓話は小澤君の訪欧談、イギリス・チェコ・オーストリアの2週間の旅。アルバムを回覧しながら、英国の緑豊かな田園風景を巡り、多彩な文化・遺跡・芸術を愛でた。チェコでは、プラハ城・旧市街広場、カレル橋等を訪ねた。オーストリアでは、ウィーンのシェーンブルン宮殿・シュテファン寺院とベータ教会を訪れハプスブルグ家の荘厳華麗な文化遺産を観、楽友協会で、ウィーン・フィルハーモニーの演奏を楽しんだ。
 次いで会員より近況報告、次回は平成20年5月12日(月)大阪倶楽部での開催を決め、散会した。

日 時

平成19年5月14日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
9名
 幹事の木本正丈君よりの報告で、今回も体調不良のため残念乍ら欠席するもの多く前回同様の人数となりましたが、関大名誉教授の下間頼一君が去る5月10日皇居にて彼の教育と技術史学会への長年の貢献に対して瑞宝中綬章を受賞しましたことは喜ばしいことでした。一方、長年脳梗塞を闘ってこられた安藤光雄君が昨年暮れに亡くなられたことは残念でした。
 今回の卓話は、河内長野市在住の小澤和雄君が、長年地元で自治会長として活躍してきた経験談、特に10年前、彼の住宅地の近くに産廃処理業者の申し入れで大量の土砂を埋め立てる計画が持ち上がり、これに対処するため、全力を尽くして地域を纏め、府・市等へ働きかけ、10年間に渉って大変な努力を重ねて埋め立て計画撤回に向かって反対運動を繰り広げてきたこと、更に地域の老人会の活性化のために努力してきたこと等、大変参考になる事柄を話してくれました。
 次いで出席者全員より近況報告を、そして次回は平成19年10月22日(月)大阪倶楽部にて次期幹事下間頼一君の世話で秋季例会を開催することを決め、散会しました。
記:合田英之

日 時

平成18年10月23日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
9名
 幹事の木本正丈君より今回は体調不良のため何時もより出席者が減少した旨報告がありましたが、出席者の中には体のハンディーを抱え乍ら努力して出席された方もあり同窓会に対する熱意には敬服しました。
 今回の卓話は宝塚市在住でシルバー混声合唱団「宝唱会」(団員65人)に参加して活躍している宮里義一君が宝唱会創立30周年記念演奏会に出演して録音したテープの演奏を聴き乍ら、若さと健康を保つ秘訣として合唱を楽しむ生き方について大変示唆に富んだ内容の話を聞かせてくれました。
 次いで出席者全員より近況報告を、そして次回は平成19年5月14日(月)大阪倶楽部にて春季大会を開催することを決め、散会しました。
記:合田英之

日 時

平成18年5月6日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
12名
 幹事の木本正丈君より白谷清二君が去る4月27日逝去したとの報告を受け、一同で冥福を祈って黙祷を捧げ、又、野木圭三君より河本實先生のご逝去(4月18日)と偲ぶ会の予定が報告され、次いで木本君から音信のない方々の近況報告を受けました。
 今回の卓話は、台湾生まれで台湾育ちの木本正丈君の「麗しの台湾」と題する大変興味深いお話を事前に準備された沢山の資料を用いて話され、一同の多くの示唆と感銘を与えられました。
 次いで、出席者全員より近況報告を、そして次回は平成18年10月23日(月)大阪倶楽部にて秋季例会を開催することを決め、散会しました。 
記:合田英之

日 時

平成17年10月24日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
15名
 木本幹事より音信のない方々の近況報告を受け、今回の卓話は無類の中国通である下間頼一君が4000年の歴史を持つ中国医学、漢方による自身の健康法「心の健康・体の健康」と題して若さと心身の健康を保つ秘訣について話され、普段 西洋医学に頼り勝ちな我々一同にとって大いに示唆を受け、目から鱗の落ちる思いをしました。次いで森川君より京機会の報告、出席者全員より近況報告を、そして次回は平成18年5月8日(月)大阪倶楽部にて春季例会を開催することを決め、散会しました。 
記:合田英之

日 時

平成17年5月9日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
13名
 田中幹事より当日欠席されてた方々の近況報告がありました。
 今回の卓話は、畠君の「日本の海運に関するメモ」がテーマで、永年の造船の知識と最近のデータを基に、日本の海運、造船業界の現状と問題点について話されました。次いで野木君より機河会、森川君より京機会の報告がありました。
 最後に出席者全員の近況報告、そして次回からの幹事として合田英之、木本正丈両君にお願いすること決め、平成17年10月24日大阪倶楽部で秋季例会を開催することとして散会しました。 
記:山中

日 時

平成16年10月25日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
13名
 田中幹事より水谷成二氏が平成16年7月9日に亡くなられた旨の報告があり、全員で黙祷、哀悼の意を表しました。
 今回の卓話は、太田君の「魚類の分類その他について」のテーマで永年の研究成果を報告されました。次いで森川君より、機械系教室及び京機会の活動についての報告、野木君より河本先生の御回復の報告がありました。
 最後に出席者各自の近況報告があり、次回は平成17年5月9日、大阪クラブで開催することを決め、散会しました。

日 時

平成16年5月10日(月)
場 所
大阪倶楽部
出席者
14名
 今回は下間君の「ペルシャ周遊紀」のテーマで豊富なスライドで、資料をもとにして、一時間半にわたってお話を聞きました。
 次いで、田中君より病気療養中の方々の報告、森川君より京機会の近況、野木君より河本先生の御病気の報告が有りました。
 最後に出席者の近況報告があり、次回平成16年10月25日、大阪倶楽部で開催する事を決め散会しました。
記:山中

日 時

平成15年10月27日(月)
場 所
(社) 大阪倶楽部
出席者
13名
 昭和25年(1950年)40人卒業、現在29人の内13名の出席。花外楼の料理を味わいながら、田中君より欠席の方々の近況報告がありました。入院中の方、自宅で療養中の方々がおられ心配です。
 次いで出席者の方々より近況報告並びに最近の世相に対する思いが色々に述べられ、活発な意見の交換がありました。地域の福祉活動に、産廃問題に、老人クラブの世話役にと多少の病を押して活躍されておられる話がありました。
記:山中

日 時

平成15年5月9日(金) 11時〜14時
場 所
(社) 大阪倶楽部
出席者
木本正丈、合田英之、小澤和雄、清水光明、下間頼一、田中裕、長尾剛一、
野木桂三、福井紀生、松浦清一、森川龍一、大和久士、山中正敏の各氏。
 最初に森川君より「私の中国観」と題して卓話があった。
“1972年、日本国際貿易促進協会の要請有り、上海での技術交流会に出席したこと”“1995年、在阪某中小企業の中国進出計画を支援したが、交渉過程で中国側の変化により進出を断念したこと”“1997年、某タイヤ合弁会社を訪問した時、同社を含め上海地区の各企業の経済成長ぶりに接したこと”“2002年、大阪科学技術センターの視察団に加わり、大連の日本企業、北京大学、中国科学技術協会を訪問したこと”等々で体験したこと、印象を述べ、又2002年秋の中国共産党大会の指導により諸体制に大きな変化が予測されることも含め、森川君独自の中国観が披露された。この話に関連し、中国と何らかの関わりのあった諸君より、それぞれの中国での体験や感想が寄せられ、活発な話の場であった。
食後、出席者より順次近況等を語り合い、歓談、盛り上がったひととき一時を過ごした。
 次回より幹事役が交代、山中正敏、田中裕両君に決定。尚、次回の秋季例会は、本年10月27日(月)、大阪倶楽部で開催の予定である。
幹事:野木 圭三・長尾 剛一/記:長尾

日 時

平成14年10月25日(金) 11時〜14時
場 所
(社) 大阪倶楽部
出席者
木本正丈、合田英之、小澤和雄、下間頼一、長尾剛一、野木圭三、畠 正雄、
松浦精一、宮里義一、大和久士、山中正敏の各氏。11名が出席
 今回の卓話は、長尾より「在阪の経済団体により設立された大阪高等技術研修所」を紹介した。産業界の技術者育成の要請に応え設立された当研修所(1959年〜2000年)は、企業の中堅技術者となる工高卒業者に対し、大学卒程度の技術知識の取得を目指し、1年間の夜間教育であったが、産学協同体制のもとに「財団法人」で運営され、従って権威ある講師の招聘、カリキュラムの決定や改変、学科や講座の新設等弾力的且つ実効的に行えた。その概要、特長等につき説明した。
 昼食後、各自近況を語り合い、歓談した。海外旅行、社会奉仕活動、環境問題への取り組み等、皆さん元気で各種の分野で活躍されており、話題の尽きない和やかなひととき一時であった。
 次回は、来年5月9日(金)、(社)大阪倶楽部で開催予定。
幹事:野木 圭三・長尾 剛一/記:長尾

日 時:

平成14年5月9日(木)11:00〜14:00
場 所:
(社) 大阪倶楽部
出席者:
小澤和雄、木本正丈、合田英之、田中裕、谷 晃、長尾剛一、野木圭三、畠正雄、
福井紀生、松浦精一、宮里義一、森川龍一、山中正敏、の各氏 以上13名
 今回は五十年会恒例の卓話で合田英之君から「アミッシュ(Amish)の人々」の紹介がありました。アミッシュは、再洗礼運動の一派のメノナイト派から分離し、アメリカへの移民後、今日迄、ペンシルバニア州東南部等に生き続け、宗教的な教義のみならず、日常生活の実践においても、その特異性は守られ続けている。アミッシュの文化は、人の生き方を平和的な生き方へと導いて来た。軍務への参加を許さず、人と人との交わりは親密、自動車は禁止、電化製品はタブー、宝石・室内トイレ・化粧品等禁止、等々その極めて素朴で質素な生活が、資料をもとに紹介された。このような一群の人々が、現在のアメリカに存在している事に、一同驚きと強い感心を持って、聞き入った。環境問題等が深刻な現在、大いに考えさせられる一面を持っている。
 昼食後、各自近況を語り合った。皆さん元気に各種の分野で活躍されており、合田君の卓話をはじめ、お互いに啓発される事が多かった。
 次回は平成14年10月25日(金)に同じ大阪倶楽部で開催の予定です。
幹事:長尾剛一・野木圭三/記:野木

 日 時 平成13年10月29日(月)
11:00〜14:00
 場 所 「(社)大阪倶楽部」
(大阪市中央区今橋)
 出席者 小澤和雄、木本正丈、合田英之、清水光明、下間頼一、田中裕、長尾剛一、野木圭三、畠正雄、 福井紀生、松浦精一、真部広隆、森川龍一、大和久士、山中正敏、以上15名
会の進行  
1)報告事項
畠君、森川君の両幹事から長尾、野木の両名が幹事を引き継ぐ。本年5月の第57回例会以来、同窓諸兄皆さんご無事の報告。森川君から京機会秋季大会の紹介。
2)卓話:野木から説明
大阪のシンボル・ストリート「御堂筋」、その中心的存在のガスビル、八階にある大阪の欧風レストランの草分けの一つであるガスビル食堂について、70周年をひかえて発刊された「ガスビル食堂物語」のリーフレットをもとに、その歴史を振り返ると共に御堂筋の新たな魅力の発見、御堂筋の活性化を「新しい時代の御堂筋」協議会作成のパンフレットをもとに説明、ガスビルを建設した大阪ガス第3代社長片岡直方氏、それをサポートした第4代社長で我々の大先輩の井口竹次郎氏、共に偉大な経営者であったお2人の人物像、お2人の関係等について紹介した。
3)食事と歓談
本年創業170周年を迎えた花外楼の昼食食事の後、久しぶりに出席の真部君を皮切りに、出席者全員が順次、近況を語り合った。体力は衰えて来ているが、ボケ防止、健康維持に囲碁、パソコン、社会奉仕、旅行、畑仕事等を楽しんでいる等、話しが弾んだ。
4)次回例会と記念撮影
次回は出席者の多数意見で今回と同じ大阪倶楽部で平成14年5月9日(木)に開催の予定、最後に全員の記念写真を撮影し解散。 
   
幹事:長尾 剛一、野木 圭三 / 文責:野木 圭三

(幹事:畠正雄、森川龍一)
日  時 平成13年5月8日(火曜日)11:00より14:00までの3時間
場  所 『(社) 中央電気倶楽部』(大阪市北区堂島)
出 席 者 小沢和雄、木本正丈、合田英之、清水光明、下間頼一、田中裕、
谷 晃、長尾剛一、野木圭三、畠正雄、福井紀生、松浦清一、
森川龍一、大和久士、山中正敏  以上 15名
会の進行
1)報告事項
先の秋期例会以来、幸い今日に至るまで同窓諸兄は皆さん御無事であった等、簡単な報告。 京機会本部のホームページの紹介。
2)下間君の卓話 : 『カラコルム紀行』(略1時間半)
我々が到底訪問出来ない広大な中央アジア僻地の遺跡踏破大紀行。 大量の貴重なスライドによる卓話は大変な圧巻で、拝聴した一同が自ら現地に赴いた様な興奮に包まれた。
改めて下間君から「カラコルム紀行ルートマップ」を作成して貰ったので、下記の行程説明と併せて再度幻想の旅に入って頂きたい。
《概要》
 中国西北の新彊ウイグル自治区に横たわる世界第2のタクラマカン砂漠。 その西北端のオアシス、カシュガルより出発し南西へ。 7719mのコングール峰やカラクリ湖を左手に、更に白雪の7546mのムスタグアタ峰を仰ぎタシュクルガンで高度調整。 西へ向かい中パ国境の4943mのクンジュラーブ峠を越える。 カラコルム山中の秘境フンザの里へ降りる。 秀峰ラカポシを仰ぐフンザはシャングリラ(理想郷)として知られる秘境。 中央アジアの屋根カラコルムは世界第2の高峰K2はじめ8000mの峰4座、7000m級の峰60座以上もある白い巨峰の世界。 北の中央アジア高原と南のパンジャブ平原を結ぶルートは、シルクロードの1つとして仏教伝来の道、紀元前のアレキサンダー遠征の道として、様々の人種や文明の足跡が刻まれた舞台です。 フンザからインダス河に沿って下り、スワット渓谷、ガンダーラ地方、ペシャワルからハイバル峠を越えてアフガニスタンへ。 最近破壊されたバーミヤンの大仏を仰ぎヘラートへ。 再びパキスタンへ南下してインダス文明の遺跡モヘンジョダロを訪れる壮大な旅行。その行程にある数々の遺跡や住民の生活、宗教などの解説を、時には危険な隠し撮り写真を交えた素晴らしいスライドにより行われた。
3)食事と閑談 : 夫々の出席者の間で会話の花が咲いた。
4)次期幹事挨拶と記念写真撮影
畠、森川は今回をもって2年の幹事任期を終了。
次期幹事は野木、長尾両君に決定。 
野木君から次期幹事として諸兄の協力を期待する挨拶があり、出席諸兄と協議の結果、次回の秋期例会は本年10月29日(月)頃にするが、京機会本部総会のスケジュールを勘案して決める事になった。
  最後に全員の記念写真を撮影し解散。
京機会Home Page記載原稿、文責:森川龍一

幹事:畠正雄、森川龍一
日  時 平成12年10月30日(月曜日) 11:30より15:00までの3時間半
場  所 レストラン『モンレーブ』 (梅田東海銀行ビル9階)
出 席 者 太田邦男、木本正丈、田中裕、谷 晃、長尾剛一、野木圭三、畠正雄、福井紀生、
松浦清一、宮里義一、森川龍一、大和久士、山中正敏の各氏  以上13名
会の進行 1) 記念写真撮影と報告事項
 春の五十周年記念同窓会が以後、幸い今日に至るまで同窓会員は皆さん御無事であった。 幹事森川より保管してあった1950年卒業直前の記念写真の乾板を披露する。 また卒業後最初のガリ版刷りザラ半紙の会員名簿第一号冊子(昭和26年秋9月現在、拍子とも5ページ)も出て来たので、現物に模した黄色紙への複製を配付。京機会本部のホームページに我々五十年回の記録が多く披露されている事を紹介した。
2) 食事と閑談:12:00より13:00
3) 福井紀生君の卓話:題名『田舎の生活』
 同君は現役の職務から退職後は一転して故郷に隠り、土地の顔役として活躍して居られる。色々な世話を引受ける立場となり、特にベテラン民生委員として近隣に貢献されている苦労話は、この方面 に疎い我々の認識を目覚めされるものであった。
再会を約束して解散  15:00
次回は2001年、5月8日(火曜日):11:30?15:00
場所は同じくレストラン『モンレーブ』
また下間君に彼の終生の研究『機械技術史について』と題した卓話をお願いしている。 

  1950年 卒業記念写真 / ガラス乾板白黒写真
   

旧機械教室本館前にて撮影。
同窓生40名中の6名が欠席。写真の34名の中で物故者9名。
現在同窓の物故者は写真に欠席した伊藤君を含めて10名。

  2000年 10/30 秋期同窓会


大阪のレストラン「モンレーブ」にて、出席者13名。

2つの写真は、50年の歳月を物語っている。
写真1の紅顔の美青年達も、写真2では皆さんお爺ちゃんの頑固面になりました。

  第一回 五十年会名簿
   

卒業直後の勤務先や住居を見て、貧しい生活状況が偲べて興味深いものである。当時はザラ半紙にガリ版刷りの印刷物が普通 であった。
前に紹介した五十年会誌は幹事森川の手書きであったが、この名簿のガリ版は外注している。
   

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