会長就任挨拶
   
 2016年11月5日の京機会総会にて会長を拝命しました。過去を振り返れば同窓会活動では落第生とも言うべき身であり、歴代の会長が立派に果たして来られたこの役目が自分に務まるものかと思い悩む次第ですが、皆様のご指導とご支援があってこそ出来るものと考えますので、どうか宜しくお願い致します。

 言うまでもなく京機会は学科としての同窓会ですが、本部や各支部で毎年定期的に活発な活動をおこなっており、その水準はより大きな学校単位の同窓会などと比べても、また世間的に見ても相当高いところにあると感じています。これも諸先輩や会員の皆さんが長年にわたって工夫と努力を重ねてこられた賜物であり、あらためて感謝申し上げます。

 なかでも嬉しいのは、本部や各支部の幹事の皆さんが熱心に会を牽引され、また会合で若い世代の人の姿を多く見かけることです。老・壮・青の各年代の方々が諸活動に参加され、その輪が上手く調和しながら回ってこそ、会の発展が長く続くものと確信する次第です。

 ご存じのように、同じ教室や先生の下で肩を並べて学んだ同門の友のことを「朋」と言いますが、私はこの字から論語の冒頭にある有名な章句を同窓会の原点として思い出します。

 子の曰く、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずしてチ(うら)みず、亦た君子ならずや。

 これは「孔子の体験にてらして道を学ぶ者の望ましいあり方を述べた」(金谷治訳注「論語」)ものだそうですが、同門の友が共有した若くて純粋な気持ちがよく表されています。

 その純粋な気持ちも社会に出て年齢を重ねると失われ、「学びて時にこれを習う」という生き方から随分と遠ざかります。これを甦らせてくれるのが大学主催のリカレント講座や種々の講演であり、聴講すると刺激を受けます。その一方で、世俗の損得勘定が幅を利かす世の中にあっては、「人知らずしてうらみず」という生き方も簡単ではありません。学問の場でも昨今では論文の引用度で評価が決まるとも聞いており、君子として道を究めることもなかなか難しい時代となりましたが、ぜひ頑張って頂きたいものです。

 そうした中で、「朋あり、遠方より来る」は京機会の会合に出れば「楽しからずや」を誰もが実感できますので、心より会員の皆様のご参加をお持ちしている次第です。

                                            中村 吉伸(1973年卒)
 


平成24〜26年度 平成27〜28年度
平成23年度 平成21.22年度 平成20年度 平成19年度
平成17.18年度 平成16年度 平成15年度 平成14年度