講
座 ・ 分 野 の 歩 み
1. 機械工学第一講座
機械工学第一講座は、明治30(1897)年に開設され、明治38(1905)年に教授朝永正三が担任した。朝永は熱機関を主分野として、「蒸汽機関」「蒸汽タービン」「汽機及び汽罐」などの講義を行うとともに、注水コンデンソルの学理、グリイン節炭器の理論などの研究成果を発表して蒸気動力界の発展を促した。朝永は大正(1918)年4月から大正9(1920)年7月までの間、理工科大学長(工学部長)を務め、大正15(1926)年に停年退官した。
朝永の後を受けて、助教授菅原菅雄が講義を担当し、昭和6(1931)年、教授に昇任するとともに、熱力学関係に包含されていた蒸気の性質などを含め、「蒸気及び蒸気発動機」(後に「蒸気及び蒸気罐」に変更として講義するとともに、蒸気並びに各種冷媒の熱力学性質、蒸気ターピンおよびエゼクタの効率などに関する研究を行い、蒸気表に関する研究成果が日本機械学会蒸気表の基礎となるなど、蒸気熱力学の分野において著しい功績を挙げた。また、菅原は助教授佐藤俊、助教授岐美格とともに、伝熱工学分野の研究にも着手した。菅原は昭和34(1959)年に停年退官し、機械工学第一講座は、工学研究所から配置換になった教授佐藤俊によって引き継がれた。topに戻る
2. 熱力学講座・熱流体工学講座熱システム工学分野
機械工学第一講座は、昭和38(1963)年の名称講座への移行に際して熱力学講座と呼ばれることになった。昭和37(1962)年に教授大東俊一が着任し、昭和54(1979)年の停年退官まで講座を担任した。その後、昭和55(1980)年に岡山大学教授から帰任した教授嶋本讓の担任になった。講座に関連した講義としては、「熱力学」「速度過程論」「応用熱力学」「燃焼工学」「熱システム工学」等が、大東、嶋本、助教授浜本嘉輔、助教授脇坂知行らによって担当あるいは分担された。
本講座における研究としては、大東と浜本は、二サイクル機関の掃気特性の計測法、火花放電を利用したガス流速測定法などを開発し、機関におけるガス組成、流動の計測に多大の貢献をした。また、火花点火機関における点火現象、火炎伝播、燃焼変動などに関して多くの研究成果を挙げた。
嶋本が担任してからは、数値流体力学を内燃機関における熱・流動現象の解明に応用する研究が進められた。吸・排気管系内の一次元ガス流動を数値解析し、機関性能を予測する手法を開発した。さらに嶋本は、脇坂、講師一色美博とともに、実機でのガス流動現象の三次元数値解析に関する研究を行い、吸気ポート内ガス流動の実用的計算手法を開発した。さらに、吸気ポート、シリンダ、燃焼室を一体とした複雑形状領域でのガス流動、燃料噴霧挙動、燃料ガス拡散過程の高精度数値解析手法を開発して、実機でのガス流動と混合気形成過程を解明し、燃料消費量の低減、環境への適合を図る上で有用な多くの研究成果を挙げた。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により熱流体工学講座熱システム工学分野に移行した。嶋本は平成7(1995)年に停年退官した。
平成11(1999)年に吉田英生が教授に着任し、等温膨張燃焼過程を組み込んだガスタービンサイクルの研究やマイクロガスタービンシステムの関連研究に着手するとともに、表面張力を利用したマイクロアクチュエータの開発を進めている。topに戻る
3. 伝熱工学講座・熱流体工学講座伝熱工学分野
昭和37(1962)年に機械工学第二学科が創設され、昭和38(1963)年に伝熱工学講座が開設された。同講座は、後に、昭和50(1975)年の機械系工学科の改組に伴って、機械工学科に移設された。本講座は当初教授森美郎によって担任されたが、その後、機械工学第一講座担任教授佐藤俊が、流体工学講座担任を経て、本講座の担任になった。昭和58(1983)年の佐藤の停年退官の後いったん担任教授欠員となり、昭和61(1986)年助教授鈴木健二郎が教授に昇任して担任になった。本講座では、佐藤、鈴木らによって「流体熱工学」「伝熱工学」などの講義が担当された。
研究の面では佐藤は、強制流動沸騰熱伝達、輝炎のふく射熱伝達、乱流熱伝達等に関する基礎的研究を行う一方、助教授南山龍緒を協力者として蒸気性質などの熱力学的研究を行った。また国際学会誌の創設に加わって長期にわたってその編集に携わり、他方では、昭和56(1981)年4月から昭和58(1983)年3月の間、工学部長として京都大学の管理運営にも尽力した。
鈴木は、初期には燃焼の不安定現象の研究に従事したが、次第に乱流構造、乱流熱伝達、乱流のモデル化、流動伝熱現象の数値解析的研究に傾斜し、さらには非定常流熱伝達、熱交換器の伝熱特性、二相流熱伝達、回転流の熱伝達、輸送現象の非相似性、不確定性を伴う問題の解析法等についても研究を深めた。また、分散型エネルギーシステムの解析とその要素となるマイクロガスタービン、固体電解質電池開発の基礎となる熱流動特性の研究を行った。さらに、数種の国際学会誌の編集や国際会議の組織、運営にも携わってきた。研究には、助教授萩原良道、助教授中部主敬、講師稲岡恭二が協力した。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により熱流体工学講座伝熱工学分野に移行した。平成10(1998)年に講師手島清美が着任して本講座に属し、ガスタービンのシステム解析を行うとともに「機械設計演習」を担当した。topに戻る
4. 機械工学第二講座
機械工学第二講座は、明治30(1897)年に開設され、明治31(1898)年から同43(1910)年までの間教授大塚要が講座を担任した。その後、明治43(1910)年からは教授堀覚太郎の担任になり、堀は「機械設計法」の講義を分担したほか、「機械製造法」や「鉄道車輌」について講じた。
堀が大正7(1918)年に停年退官した後は、教授大塚、助教授菊川清作、助教授濱部源次郎、助教授西原利夫が分担し、大正14(1925)年西原が教授に昇任して本講座を担任し、「機械設計法」その他を講じた。しかし、西原は、昭和7(1932)年に、教授松村鶴造の停年退官の後を受けて、材料強弱学講座担任になり、機械工学第二講座は西原の兼担になった。この間、助教授紀野久次郎、助教授津枝正介、講師南大路謙一、講師覚前睦夫らが「構造強弱学」「起重機及び運送機」等の講義を分担した。
昭和22(1947)年に、助教授河本實が教授昇任して本講座を担任したが、昭和32(1957)年に河本は材料力学講座の担任になり、工学研究所教授平修二が工学部へ移って本講座を担任した。平は、昭和37(1962)年に設置された機械工学第二学科高温材料工学講座に移った。topに戻る
5. 機械設計学講座・塑性工学講座・機械設計制御工学講座加工プロセス工学分野
昭和38(l963)年、機械工学第二講座が機械設計学講座と名称変更され、昭和40(l965)年から教授大矢根守哉の担任になった。機械設計学講座は昭和50(l975)年の機械系工学科改組に際し、精密工学科システム工学講座に振り替えられ、代わって精密工学科塑性力学講座が塑性工学講座として機械工学科に移され、大矢根が引き続いて本講座を担任した。大矢根は昭和61(l986)年に停年退官し、昭和63(1988)年からは教授島進が本講座を担任している。この間、本講座では、大矢根、助教授阿部武治、島、助教授小寺秀俊らが「塑性工学」(その後「塑性力学」、さらに「加工学」に変更)「塑性と塑性加工」「設計工学」「構造力学」等の講義を担当あるいは分担した。
研究面については、本講座では塑性加工全般にわたり、とくに高速・高圧塑性加工、塑性加工限界、塑性加工トライボロジー、粉体成形に関わる圧縮性材料の塑性理論に関する研究など、塑性力学および塑性加工の分野で常に先駆的な研究を行って優れた業績を挙げてきた。大矢根が停年退官した後も島によって研究が引き継がれ、平成5(1993)年からは小寺との協力により、粉体成形、塑性加工プロセスの知能化、加工成形プロセスの計算科学的研究など新たな分野にも研究を広げている。これらは成形・加工プロセスの最適化に寄与するものと有望視されている。さらに最近はMEMS(Micro-Electro
Mechanical Systems)の設計・製作にも研究の幅を広げている。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により機械設計制御工学講座加工プロセス工学分野に移行した。topに戻る
6. 機械工学第三講座・流体工学講座・熱流体工学講座流体工学分野・
機械システム工学講座
機械工学第三講座は、明治30(1897)年に設置され、明治31(1898)年教授朝永正三がこれを担任したが、明治38(1905)年に助教授金子登が教授に昇任して昭和5(1930)年に停年退官するまで講座を担任した。なお、金子は、学内にあっては、大正11(1922)年4月から大正13(1924)年4月の間工学部長を務めた。その後、助教授津枝正介、田伏敬三の分担になっていたが、昭和8(1933)年、田伏が教授に昇任して講座を担任した。
本講座の主な講義は水力機械と水力学であり、金子、田伏、教師オスカー・ゲーリッツ、助教授長沢泰和らによって「水力学」「水力発動機」「揚水機」等が講じられた。また、研究面については、金子、田伏が相次いで、渦巻ポンプや軸流ポンプの性能、および水力機械に関連する流体力学上の諸問題について研究し、多大の成果を挙げた。
田伏は昭和21(1946)年に転任し、その後本講座は、昭和25(1950)年から教授神元五郎の担任になったが、神元は昭和34(1959)年に航空工学科に移籍した。神元は「水力学」「流体機械」等の講義を担当し、また、研究面では、とくに翼列理論、ポンプのキャビテーションの研究を実施し、近年の流体力学の発展に伴い非圧縮性流体のみにとどまらず、気体力学の研究分野にまで進んだ。
機械工学第三講座は昭和38(1963)年の名称講座への移行に際し、流体工学講座と改称された。機械系工学科拡充の過渡期には教授森美郎、教授佐藤俊が担任した期間があったが、その後、しばらくの間は教授欠員の状態が続いた。昭和49(1974)年、助教授赤松映明が教授に昇任して講座を担任し、「流体力学」「流体物理学」等の講義を担当した。
赤松は、当初神元とともに衝撃波管装置による高速気流の研究に従事したが、助教授に就任以降、非定常境界層、フリーピストン衝撃波管による電離衝撃波、無隔膜衝撃波管による反応性気体力学、キャビテーション単一気泡ならびに気泡群の力学、蒸気の凝縮過程、非定常翼理論、粘性拡散速度による離散渦法の開発等、当初の航空宇宙工学関連から機械工学関連の研究へと転換するとともに昭和50年ごろから生体医療工学の分野にも目を向け、空気駆動型人工心臓ならびに人工弁の基礎研究、さらに次世代人工心臓として注目されているシールレス遠心血液ポンプ(歳差式と磁気浮式)の開発に取り組んだ。また、集束衝撃波結石破砕術における生体組織損傷のメカニズムの解明、また、講師高比良裕之の協力を得て気泡群の力学とそのカオス現象の研究を行った。
平成3(1991)〜5(1993)年講師宇多小路豊が、平成6(1994)〜9(1997)年講師藤村威明が、本講座に属し、実務経験を活かして「機械設計演習」を担当した。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により熱流体工学講座流体工学分野に移行した。同時に、赤松は大学院専任講座である新設の機械システム工学講座の担任になり、平成9(1997)年に停年退官した。高比良は平成7(1995)年に大阪府立大学に転出した。
平成10(1998)年に九州大学教授であった小森悟が流体工学分野担任教授に着任した。小森は助手長田孝二とともに室内実験を主体とした流体機械および環境中に現れる乱流現象の解明に関する研究を行っている。現在のおもな研究テーマは、気液界面(大気・海洋間)での物質(CO2)および熱の輸送機構の解明と交換量予測、反応乱流場での混合反応機構の解明、超音波等の外力を用いた乱流混合反応促進技術の開発、密度成層乱流中での乱流拡散現象の解明、気液・固気二相乱流中での気泡・液滴運動の解明である。topに戻る
7. 機械工学第四講座・内燃機関講座・動力熱工学講座・動力工学講座
機械工学第四講座は、明治32(1899)年に開設され、明治34(1901)年から教授松村鶴造が担任した。松村は明治38(1905)年に材料強弱学講座の担任になり、しばらくの間は数名の教授によって分担されていたが、大正6(1917)年からは教授濱部源次郎の担任になった。
濱部は「内部燃焼機関」を開講し、当初はガス機関および焼玉機関を主体とした講義を行っていたが、漸次航空機用および自動車用ガソリン機関、さらにディーゼル機関にも範囲を広げた。研究面では、濱部は気化器式機関の分野でわが国での自動車工業の揺藍時代に指針となるべき有用な研究を行い、アルコールを燃料とする発動機の研究も行った。さらにディーゼル機関の分野ではその開発期にあたり、とくに高速小型化に対して顕著な業績を挙げた。
濱部は昭和10(1935)年9月から昭和12(1937)年9月の間、工学部長を務めたが、不幸にして在職中の昭和14(1939)年に逝去した。
昭和16(1941)年長尾不二夫が教授に昇任して本講座を担任した。昭和38(1963)年に機械工学第二学科動力熱工学講座が開設され、長尾は同講座に移り、停年退官した昭和44(1969)年まで担任を務めた。なお、機械工学第四講座は名称講座への移行に際して内燃機関講座と改称された。
長尾は「内燃機関」等、内燃機関に関して基礎的な諸問題に加えて構造・性能・設計法を含めて講義を行った。研究面では濱部に協力して燃料噴射および燃焼の研究を進めたが、なかでも、ディーゼル機関シリンダ内の燃焼の水晶窓を通しての計測は世界最初の試みであり、また考案したインジケータはその後の研究に多くの収穫をもたらした。教授に就任後も航空機用および車輌用内燃機関の性能向上に関する諸研究を相次いで行った。ガソリン噴射機関に関しては、当時航空工学科在籍の助教授大東俊一や助教授小早川隆とも協力して昭和30(1955)年頃まで研究を続行し、着火、炎伝播およびノッキングに関して多くの成果を収めた。自由ピストン圧縮機の研究は、後に助教授大塚芳郎の協力を得て自由ピストンガスタービンにまで発展した。高速ディーゼル機関の分野ではその燃焼改善、空気室の開発など多数の成果を挙げたが、とくに、講師柿本治利は副燃焼室における炎伝播の高速撮影に成功し、気流による燃焼改善に貢献した。また、ディーゼル機関の排気タービン過給の研究を行い、講師平子善夫、後に助教授嶋本讓の協力を得て、静圧ならびに動圧タービン過給に関し多くの業績を挙げた。
長尾はまた助教授池上詢と協力してディーゼル機関を始めとする内燃機関の混合気形成と燃焼に関する種々の研究を行った。とくに、直接噴射式ならびに副室式ディーゼル機関におけるガス流動とその燃焼に及ぼす影響の解明が実際機関および可視化機関を使って行われ、機関性能の向上の諸知見がもたらされ、有用な設計指針が与えられた。
長尾は、学外にあっては、昭和41(1955)年に日本機械学会会長を務めるなど、斯界の発展に尽力した。
本講座は、昭和50(1975)年の機械系工学科の改組によって動力工学講座に移行し、昭和55(1980)年に池上が教授に昇任して講座を担任した。同講座は平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組に際して、エネルギー応用工学専攻エネルギーシステム工学講座動力工学分野になり、さらに、平成8(1996)年、エネルギー科学研究科の発足に伴い、同研究科エネルギー変換科学専攻エネルギー変換システム学講座熱エネルギー変換分野に移行した。topに戻る
8. 機械工学第五講座
機械工学第五講座は、明治35(1902)年に開設され、教授大塚要によって兼担され、明治43(1910)年から大塚の担任になった。大塚は「紡織学」「暖房と冷蔵」などを講じ、助教授小野鑑正、講師藤野清久が講義を分担した。また、本講座に関連する講義として「機械実験法」「測定法」が助教授菅原、助教授柘植陽太郎らによって講じられた。大塚はわが国における紡績工業の発展期において紡織技術の向上に多くの業績を残し、昭和4(1929)年に停年退官した。
本講座は大塚の退官後しばらく担任者を欠いていたが、昭和14(1939)年、助教授佐々木外喜雄の担当となり、佐々木は翌昭和15(1940)年教授に昇任して講座担任になった。佐々木は「測定工学」「精密機械」等の講義を担当し、研究面では、軸受内の油膜圧力分布、転がり軸受の摩擦性能、転がり軸受における球やころの運動、各種軸受合金の摩擦および耐久度など、軸受と潤滑に関する研究並びに精密加工法に関する研究を行い、第五講座の内容も改変された。このような事実により、昭和35(1960)年に精密工学科が新設されたとき、本講座が精密工学第一講座に振り替えられた。topに戻る
9. 機械工学第六講座
機械工学第六講座は、大正10(1921)年に設置された。この講座の主たる内容である「機械製造法」の講義については、学科創設当初から教授金子登、教授朝永正三、教授堀覚太郎が相次いで担当していたが、大正11(1922)年に菊川清作が教授に昇任して講座を担任した。
菊川は切削作業という現象を解明しようとする切削工学の分野において先駆的な業績を残し、また学内にあっては、昭和18(1943)年9月から昭和20(1945)年3月の間、工学部長を務めた。
昭和20(1945)年に菊川は停年退官し、その後、助教授奥島啓弍が同講座に所属し、昭和25(1950)年教授昇任とともに講座担任になった。昭和38(1963)年に精密工学科が新設され、奥島は精密工学科に移り、精密加工講座(後に精密加工学講座に改称)を担任した。topに戻る
10. 機械材料学講座・機械材料力学講座機械材料設計学分野
機械工学第六講座は、昭和38(1963)年機械材料学講座になり、教授遠藤吉郎が担任になった。遠藤は昭和57(1982)年に停年退官し、昭和58(1983)年から教授駒井謙治郎が講座を担任する一方、平成元(1989)年から箕島弘二が助教授に就任した。本講座では「材料学」「機械材料学」「材料基礎学」「環境強度設計」等が講じられた。
この間の本講座における研究は、一貫して機械材料の表面疲労、表面損傷と破壊に及ぼす環境効果の解明に重点を置いてなされてきた、遠藤は、キャビテーション、フレッティング疲労、複合材料の力学的性質と環境効果、金属のすべり摩粍と耐摩粍性に及ぼす環境効果について、理論的、実際的研究を行い、その成果は国際的にも高く評価された。昭和43(1968)年からは、腐食疲労を含む環境強度の研究が開始され、機械、構造物の環境を考慮した強度設計に幾多の重要な指針を与えた。とくに、応力腐食割れと疲労との組合わせに重点を置いた研究を早くから進め、繰返し応力腐食割れ、動応力腐食割れの概念を提唱して先端的な成果を挙げた。これらの成果は、「表面工学」(遠藤)、「金属の腐食疲労と強度設計」(遠藤・駒井)なる成書として出版された。
昭和58(1983)年以降、駒井・箕島により先端機械材料の環境強度研究が積極的に推進された。画像処理フラクトグラフィ技術、知識工学手法、走査型ブローブ顕微鏡技術等の先端的手法を他に先駆けて次々に取り入れて、動的環境強度、先端複合材料の強度と破壊に及ぼす環境効果、マイクロマシン用微小機械要素の機械的特性と環境強度評価へと研究展開がなされて、多くの研究成果を挙げた。成果は「構造材料の環境強度設計」(駒井)、「ステレオフラクトグラフィ」(駒井)として刊行された。このように、本講座はわが国における環境強度研究の中心としてその重みをますます増しつつある。なお、本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により機械材料力学講座機械材料設計学分野に移行した。topに戻る
11. 機械工学第七講座
機械工学第七講座は、大正11(1922)年に新設され、当初、助教授菅原、助教授田村豊が分担していたが、その後教授西原の分担になり、「気体力学」が講じられた。助教授藤本武助がそれを引き継ぎ、昭和14(1939)年に教授に昇任して本講座を担任し「空気力学」を講じた。
昭和17(1942)年に航空工学科が新設され、本講座はその母体の一つとして同学科に移され、同時に藤本は同学科航空工学第一講座(流体力学)に移った。topに戻る
12. 材料強弱学講座・材料力学講座・機械材料力学講座連続体力学分野
材料強弱学講座は、明治34(1901)年に新設され、明治35(1902)年から教授松村鶴造の兼担、明治38(1905)年からは松村の担任になった。
松村は「材料強弱学」等を講じるとともに、研究面では、組み合せ応力、クランク軸やピストンの強度計算などに関して開拓者的研究を進めたほか、万能材料試験機、繰返打撃試験機、硬度計等について独自の考案・設計を行い、材料力学・材料学の研究の基礎を固める上で著しい貢献をした。また、学内にあっては、大正15(1926)年4月から昭和3(1928)年4月までの間工学部長を務めた。
松村は昭和6(1994)年に停年退官し、西原利夫が本講座の担任教授になった。西原は「材料学」等の講義を担当し、研究面では、塑性曲げその他の研究を行ったほか、金属材料の疲労に関して先駆的成果を発表して、わが国における疲労の研究の水準を世界的にした。また、各種の疲労試験機、摩耗試験機を考案・設計し、まだら摩耗が疲労現象であることを明らかにするなどの成果を得た。さらに、西原はX線による応力測定法を開発し、クリープの研究を進めた。なお、助教授田中吉之助が本講座に所属し研究に協力した。西原は、このような材料力学、材料学に対する著しい功績により日本学士院会員に選ばれたほか、昭和28(1953)年に日本機械学会会長を、また、学内にあっては、昭和20(1945)年3月から昭和22(1947)年3月までの間工学部長を務めた。
材料強弱学講座は昭和28(1953)年、材料力学講座と改称され、西原が引き続いて講座を担任した。西原は昭和32(1957)年に停年退官し、あとを継いで、機械工学第二講座から教授河本實が移って講座担任となり、「材料力学」「弾性力学特論」等の講義を担当あるいは分担した。
河本は金属材料の疲労、とくに組み合わせ応力による疲労、塑性疲労、熱疲労、実働荷重疲労などについて多くの研究成果を挙げた。また、助教授中川隆夫が本講座に所属して研究に協力した。
河本は昭和51(1976)年に停年退官し、その後、昭和59(1984)年に柴田俊忍が教授に昇任して講座を担任して、「材料力学」「構造力学」「弾性力学特論」等の講義を担当あるいは分担した。研究面では、柴田は、実働荷重による疲労の研究から、弾性論、機械と人間の接点における安全の問題に研究の重点を移し、昭和47(1972)年から「機械製作実習」の一部として「安全工学概論」を講じた。
平成元(1989)年、助教授松本英治を迎えて、連続体力学を基礎として、有限変形弾性論とその応用、非均質材料の材料評価、音弾性効果、磁気材料の非均質磁気異方性、機能性材料を用いたアクチュエータの動特性と応用等の研究を行い、多くの成果を挙げた。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により機械材料力学講座連続体力学分野に移行した。松本は平成8(1996)年にエネルギー科学研究科に転出し、柴田は平成12(2000)年に停年退官した。topに戻る
13. 潤滑油圧工学講座・機械設計制御工学講座メカトロニクス分
潤滑油圧工学講座は、機械工学第二学科の6番目の講座として昭和40(1965)年に設置され、教授森美郎が講座を担任し、「油圧工学」「潤滑工学」「特殊軸受」等を講じた。本講座は、その後、昭和50(1975)年の機械系工学科の改組に伴って機械工学科に移った。研究面では、森は早くから静圧気体軸受を対象にした研究を実施し、複素ポテンシャル理論による軸受特性の解析、給気絞りの決定、給気孔直後における負圧発生現象の解明などの先駆的な研究成果によって気体潤滑問題の基礎を確立した。また、助教授矢部寛と協力して、種々の形式の静圧気体軸受の特性解析の研究を、助教授森淳暢と協力して、気体軸受の動特性の解析と安定化法に関する研究を行った。さらに、油膜破断現象の解析法、メカニカルシールにおけるポンピング作用の解明、生体関節の潤滑機構の解析などを行った。
平成2(1990)年に森が停年退官し、平成3(1991)年から本講座は教授吉川恒夫の担任になった。また、本講座は平成6(1994)年の大学院重点化改組に伴って機械設計制御工学講座メカトロニクス分野に移行した。吉川は「制御工学」「現代制御論」「ロボット工学」等を担当した。研究面では、吉川は、ロボットマニピュレータの機構解析と制御、フレキシブルアームの制御、組立作業の解析と自動作業計画法、力覚を用いた人工現実感、非線形システム制御理論などの研究を行い、とくに、ロボットマニピュレータの操作能力の評価指標としての可操作性の概念の提案、手先力制御のための動的ハイブリッド制御則の開発、などの成果を挙げた。また、助教授横小路泰義と協力して、マスター・スレーブ・システムの機構設計と制御、人工現実感などに関する研究を行った。topに戻る
14. 一般材料力学講座
一般材料力学講座は、工学部の多数の学科の学生に共通する基礎科目としての材料力学を「一般材料力学」として教授するために、工学部7番目の共通講座として、昭和42(1967)年に新設された。昭和43(1968)年、初代教授として山田敏郎が岡山大学から迎えられ、井上達雄が助教授として着任した。本講座では、上記の「一般材料力学」のみではなく、機械系工学科の学部学生に対して、「材料力学」「弾性力学」等を教授するとともに大学院では「非切削加工工学」「塑性力学特論」等を講述し、機械系工学教室における教育の一翼を担った。
この間、研究活動としては、金属材料の実働条件下の疲労、衝撃圧力を利用した塑性加工、セラミックスの強度、さらには非弾性体の構成関係とそのコンピュータ・シミュレーションへの適用などを幅広く手がけ、多数の有意義な成果を挙げた。
山田は昭和57(1982)年に新居浜工業高等専門学校校長として転出し、昭和58(1983)年に井上が教授に昇任して講座を担任した。本講座は平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組に際して、エネルギー応用工学専攻エネルギー材料工学講座エネルギー材料設計学分野に移行し、さらに、平成8(1996)年、エネルギー科学研究科の発足に伴い、同研究科エネルギー変換科学専攻エネルギー機能設計学講座エネルギー材料設計分野に移行した。topに戻る
15. 機械設計制御講座マイクロマシン工学分野
マイクロマシン工学分野は、平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組の際に新設され、平成8(1996)年に鷲津正夫が教授に着任して分野を担任した。鷲津の研究テーマは、主に、マイクロマシン工学のバイオテクノロジーへの応用である。細胞・染色体・DNA等の生物学的対象をマイクロマシーニングにより作製された微細構造を用いてハンドリングするバイオマニピュレーション、DNAの1分子単位での計測・切断・改変(モレキュラーサージェリー)、DNA酵素とDNAとの相互作用のダイナミクスの研究、化学プロセスをマイクロ構造中で集積化して行うμ-TAS(micro-Total
Analysis System)等の研究を行っている。topに戻る
16. 精密加工講座・精密加工学講座・システム工学講座知識情報システム分野
昭和35(1960)年に精密工学第一講座が設置され、昭和38(1963)年の名称講座への移行によって精密加工講座と改称され、さらに、昭和50(1975)年の機械系工学科改組に際して精密加工学講座になった。本講座は機械工学科から移籍した教授奥島啓弍が担任し、「機械製作」「切削工学」等を講じた。
奥島は種々の新手法を用いて切削現象の解明を行うとともに、生産システムの基盤をなす工作機械を対象にしてその特性を解析し、加工精度と加工能率を向上させる方策について広範な研究を行った。とくに、助教授人見勝人と協力して行った切削の解析と経済性についての研究や、助教授星鉄太郎と協力して行った工作機械のびびり現象とその対策などで顕著な成果を挙げた。また、奥島は昭和51(1976)年4月から2年間、精密機械学会会長を務めた。
奥島は昭和52(1977)年に停年退官し、その後、昭和54(1979)年から教授人見勝人(技術士・経済師)が本講座を担任し、「生産管理工学」「産業経営学」等を講じた。人見は、技術・経営・経済・社会の広い立場から見た「生産」の体系化について研究し、一つの成果として『生産システム工学(Manufacturing
Systems Engineering)』を提唱した。この著書は1993年アメリカ・イギリスで先駆的業績と評価され、和書・英書・韓書・中文書が著されており、この名称の講座・学科・専攻・研究所がグローバルに出現している、人見は、上述の研究で、米国機械学会(ASME)フェロー、オハイオ大学冠講座客員教授、南京大学客座教授に任ぜられた。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組によりシステム工学講座知識情報システム分野に移行した。教授吉村允孝が平成10(1998)年8月から本講座を担任し、「最適設計・生産論」「生産情報論」等を講じている。吉村は、大規模で複雑な機械システムの最適設計の研究を始めとして、製品設計と生産を統合化して最適な意思決定を行う立場からのコンカレントエンジニアリング、マルティエージェントなどの情報ネットワーク技術を用いたコラボレーション、製品のライフサイクル設計、感性や発想支援システム、製品設計解の創生などの研究を行っている。そして、製品設計・生産における全体最適の追求とそのブレイクスルーをめざした、最適化技術、情報技術と固有技術を融合した新しいシステム構築のための概念、理論、方法論などを世界に先駆けて提唱している。
外国人教官任用制度の規程に則って、平成3(1991)年に井出亜里(エクテサビ・アリ)が助教授として任用された。井出は超微細加工分野の中でとくに荷電粒子ビームおよび放射光を用いた超精密加工・測定に関する研究を行い、イオンビーム照射による表面改質やイオンビームミキシング現象を利用した界面改質に関する実験的・理論的アプローチ、ならびに超微細加工のツールとしてのイオンビームの位置付けに関する研究を進める一方、その成果の実際応用面への展開をはかった。topに戻る
17. 精密機械要素講座・機械要素講座・知能機械システム講座トライボロジー分野
精密工学科創設の翌昭和36(1961)年に精密機械要素講座が開設され、昭和37(1962)年から教授会田俊夫が講座を担任した。その後、昭和50(1975)年の改組によって機械要素講座に名称が変更された。本講座では「機械設計」(後に「設計工学」に改称)「機械要素」等の講義が担当された。
会田は、ワイヤロープの特性解析に始まり、歯車の強度特性・振動特性に関し、歯車歯元すみ肉部の応力の解析と各種材料・熱処理条件の下での疲れ過程の実験的検討、圧入歯車の歯元縁応力の解析、各種鋼製歯車の焼入れ変形と残留応力に関する研究、超高速歯車装置の動的挙動、歯車の振動・騒音特性とそれに及ぼす歯の剛性や歯面形状誤差の影響、その防止法など、広範な研究を行った。これらの研究には、助教授佐藤進、講師小田哲、中井幹雄が協力した。
昭和54(1979)年に会田が停年退官し、機械工学科助教授矢部寛が教授に昇任して、同年8月から講座を担任した。矢部は、各種静圧気体軸受の作動特性の解析、静圧気体軸受の運動精度特性と精度設計法、フォイル軸受におけるテープ浮上特性、非接触ガスシールの特性解析などの気体潤滑問題、ならびに種々の機械の流体潤滑問題に関する研究を行った。
助教授藤尾博重は、動力伝達用歯車の熱処理に基づく歯形形状の変形および残留応力に関する研究を行い、その変形の因子を明確にするとともに、残留応力発生のメカニズムについて解析した。また、機械部品の表面形状の測定に対し、斜入射レーザー干渉法を適用することによって、主に歯車歯面を対象として、その表面形状・精度を非接触で測定することを目的とした研究を進めた。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により知能機械システム講座トライボロジー分野に移行した。topに戻る
18. 制御機器講座・制御工学講座・知能機械システム講座精密計測加工学分野
昭和38(1963)年に制御機器講座が精密工学第六講座として開設され、昭和38(1963)〜昭和41(1966)年の間、教授沢村泰造が講座を担任した。沢村は空気圧式プロセス制御機器および油圧式制御機器に関する研究を行った。
昭和43(1968)年から、教授明石一が講座を担任し、「制御工学」「振動論」等を講じた。本講座は、昭和50(1975)年の改組に伴って制御工学講座と改称された。明石は離散時間・連続時間、線形・非線形、集中系・分布系に対する制御と観測の問題について研究し、人間−機械系における人間の制御動作の解析、多変数線形系の出力フィードバックによる有限整定・零感度・外乱局所化制御器の構成、幾何学的手法による離散時間系の解析を始めとする多くの研究成果を挙げた。とくに、人間−機械系の研究は現在のヒューマン・インターフェイスの研究のひな型となるもので高く評価されている。
助教授井上紘一は、明石の研究に協力するとともに、多目的最適化と非線形最適化や集団意思決定と選好構造の視覚化など意思決定最適化と支援システムの研究、ならびに安全監視システムの最適論理構造を始めとするシステム信頼性解析に関する先駆的な研究を行った。
明石は昭和59(1984)年に停年退官し、昭和63(1988)年から、教授昇任した垣野義昭が講座担任となった。垣野は「機械製作」「切削工学」「計測制御工学」等を講じた。垣野は精密加工学講座の奥島の下で数値制御工作機械の熱変形と運動特性の解析と性能向上についての研究を行ってきたが、制御工学講座担任になるとともに、数値制御工作機械の送り駆動系の特性解析と機械加工システムの複合化のための技術開発に関する研究を行った。とくに垣野が開発したDBB(Double
Ball Bar)法による数値制御工作機械の精度検定法は標準的な手法として広く世界に普及した、また機上計測とそれを用いた修正加工法も高精度加工のための必須技術として普及しつつある。さらに、助教授松原厚と協力して、工作機械の高速・高精度化と知能化について研究した。これらは産業界でいち早く実用化され、普及しつつある。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により知能機械システム講座精密計測加工学分野に移行した。topに戻る
19. 精密計測工学講座
精密計測工学講座は、昭和37(1962)年に精密工学第四講座として新設され、昭和38(1963)年からこの名称になった。教授佐々木外喜雄が機械工学科の機械工学第五講座から機械工学第六講座の担任を経て精密工学科に移り、本講座の担任になった。
佐々木は、助教授森美郎と協力してすべり軸受の潤滑特性および運転性能など流体潤滑問題について基礎的・体系的に研究するとともに、助教授岡村健二郎と協力して歯車潤滑の研究を、助教授沖野教郎と協力して高速度転がり摩擦および電磁制御軸受の研究を行った。佐々木は昭和43(1968)年に停年退官し、精密計測工学講座は、その後、昭和50(1975)年の機械系工学科の改組により物理工学科材料物性学講座に振り替えになった。topに戻る
20. 自動機械講座・生産工学講座・システム工学講座生産システム工学分野
精密工学科の第三講座として、昭和36(1961)年に自動機械講座が開設され、昭和37(1962)年から、教授昇任した岡村健二郎が講座担任になり、「自動機械」「生産工学」等を講じた。昭和50(1975)年の改組に伴って、講座名称は生産工学講座に変更されたが、岡村が引き続いて講座を担任した。
岡村は、精密研削、ホーニング、ラッピングなどの精密加工のメカニズムに関する研究を行い、とくに超仕上げに関する先駆的な成果を挙げたほか、微細砥粒の切削機構の解明、単一砥粒による切り屑生成機構の解析を始めとする研削工学に関する研究、ならびに、助教授小西忠孝と協力して歯車・送り機構に関する研究や油圧伝動機構の研究、さらには摺動運動機構に関する研究を行い、多くの優れた業績を残した。
昭和63(1988)年に岡村が停年退官し、同年助教授山品元が教授に昇任して講座を担任し、「生産工学」「品質工学」等を講じた。山品は、スケジューリングと在庫管理に関する研究を行って、各工程の負荷、部品の各工程での処理時間のばらつき、工程間のバッファ容量などの条件を考慮した新しいスケジューリング理論を展開したほか、生産システムの構成と運用に関する研究、状態基準保全方式についての研究やサービスパーツ管理問題に関する研究を行った。これらの研究成果の発表によって、山品はイギリスの
Royal Society of Arts(RSA)のフェローに選ばれたほか、ロンドン大学大学院ロンドンビジネススクール教授に任ぜられた。また、講師奥村進が本講座に所属し研究に協力した。
助教授熊本博光は、制御工学講座の明石や井上紘一の影響を受け、実プラントの適応制御、自動車運転者の集団行動シミュレータ、リスク評価解析、フォールト・ツリーの自動生成、希有事象モンテカルロ法の確立などの形で、研究を引き継いで行った。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組によりシステム工学講座生産システム工学分野に移行した。topに戻る
21. システム工学講座・知能機械システム講座知的制御工学分野
システム工学講座は、昭和50(1975)年の機械系工学科改組に伴って設置され、助教授岩井壯介が教授昇任して講座担任となり、停年退官した平成6(1994)年まで担任を務めた。本講座では「システム工学」「制御工学」等が講じられた。
岩井は、システムの解析・設計・制御・運用とその知能化に関して幅広い研究を行った。まず、数値制御工作機械の適応制御やマニピュレータの軌道計画・制御に始まり、医学系教室との共同研究として、循環系の動態モデル、内科的疾患の自動診断法、医療画像処理装置の開発、さらに、複雑・大規模システムを対象にして、分散的組織における情報交換モデル・コミュニケーションネットワークの最適化、戦略的意思決定支援システムの構築などへと研究を展開した。また、システムの知能化に関しては、ヒューマン・スキルのモデル化とそれに基づいた知的制御法の構築や自律移動ロボットを用いた知的ファクトリ・オートメーションに関する研究等も行った。
岩井の停年退官の後、平成6(1994)年に片井修が教授に昇任して講座を担任した。片井は、上記研究を支える基礎理論・要素技術、とりわけ確率システムのモデル化と診断・制御、並列・分散システムの構成理論、ファジィ情報処理の基礎理論とそれに基づく知的制御・自律分散型問題解決システム、人工知能・知識情報処理における高次推論、自己組織系・複雑適応系の構成理論、設計支援のための知識情報処理技術の開発等の研究を行った。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により知能機械システム講座知的制御工学分野に移行した。平成10(1998)年、情報学研究科創設にともない、同研究科システム科学専攻人間機械共生系講座に移行した。topに戻る
22. 振動工学講座・システム工学講座振動制御システム分野
振動工学講座は、最初、機械工学第二学科の講座として昭和39(1964)年に開設され、昭和40(1965)年から助教授岩井壯介が担当した。その後、昭和50(1975)年の改組によって精密工学科に移り、昭和51(1976)年、教授昇任した佐藤進が講座を担任し、平成6(1994)年の停年退官まで担任を務めた。本講座では「振動論」「振動工学」等が講じられた。
本講座の研究分野は、主として、各種機械構造物の振動解析と制振機構の開発に係わる振動工学、および、騒音の発生メカニズムの解明と騒音制御を研究対象とする音響工学から成る。
佐藤は鉱山用ワイヤロープの振動解析に始まり、各種歯車の振動と騒音に関する広範な研究や、歯付きベルトの騒音に関する研究などを行った。また、歯車振動の研究成果を基に、これを鉄道車輪・石材切削用砥石・磁気記憶ディスクなどの回転体の振動解析の研究に発展させたほか、片持ちはり形動吸振器の開発を行った。さらに、外力や主系のパラメータの変動に追随する準能動制振システムや準能動消音システムを開発し、制振・消音の分野で優れた成果を挙げた。
佐藤は、また、科学技術論や設計思想の分野においても、環境などを考慮に入れた循環システムを提案するなど、先進的な業績を残し、「科学・技術論」の講義を行った。
助教授松久寛は佐藤に協力して研究を行っていたが、佐藤の停年退官の後、平成6(1994)年に教授に昇任して講座を担任し、能動的振動制御や騒音制御の研究を引き継いで行った。圧電素子をアクチュエータとした制振機構の開発や、ジャイロモーメントを用いた制振法の研究のほか、複数のスピーカーによる軸流ファンの回転騒音の能動消音や、剛体振子の動吸振器による制振の基礎的・応用的研究を行う一方、人体の下肢や上肢の動特性、スポーツダイナミクス、スポーツ用具の最適設計の研究などを行っている。また、スキー場にあるようなゴンドラやリフトの風搖れ防止の動吸振器を平成7(1995)年に世界で初めて開発し、多くのゴンドラやリフトに設置されている。
助教授中井幹雄は、機械の非線形振動の中、摩擦振動、とくに車輪やブレーキなどの鳴き音の発生機構の解明とその防止法の開発を始めとし、機械系に存在する非線形強制振動方程式の解析方法やカオスを含む大域的な分岐現象の研究、振動測定による機械の故障診断法の開発、衝撃音や平板の音響放射特性に関する研究等を行った。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組によりシステム工学講座振動制御システム分野に移行した。topに戻る
23. デザインシステム論講座
平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組の際に、精密工学専攻に大学院専任講座としてデザインシステム論講座が新設され、同年助教授久保愛三が教授昇任して講座を担任した。
久保は教授会田俊夫とともに超高速歯車装置に関する研究を行い、高速歯車の動的挙動や実動時に発生する動的負荷の推定法を明らかにし、この成果はISO
6336-1 規格の内容として採用された。また、久保は、インボリュートはすば歯車の強度信頼性や振動起振力等の歯車性能に関係する諸量に及ぼす歯車諸元・製作誤差・組付け誤差等の影響を明らかにし、自動車・船舶・鉄道・建設機械等のトランスミッションの性能向上に寄与した。現在、主として、(1)
歯車を中心とする動力伝達用機械装置に損傷や振動のトラブルが起こったときの原因究明とその対策立案、これらをベースとした設計法の開発、(2) 機械部品要素の動作面の3次元面形状のトレーサビリティーを保証する測定法の開発とその高精度・高速化の研究を行っている。
助教授椹木哲夫は、複雑大規模な工学プラントを監視・制御する熟練運転員のマンマシンインタラクションの知的支援の研究、複雑な工学プラントの解析や運転作業を計算機で代行することを目的にしたアルゴリズムの設計、分散環境下でのマルチエージェントによる非同期・協調設計モデル、環境とのインタラクションからの自律移動ロボットの概念獲得と行動形成等、人間−機械−環境からなるシステムのデザイン原理の究明に関する研究を行っている。topに戻る
24. 高温材料学講座・材料強度学講座・材料強度物性学講座材料強度学分野
高温材料学講座は、昭和37(1962)年の機械工学第二学科の新設とともに設置され、教授平修二が担任し、助教授小寺沢良一が協力した。平は、「材料力学」「応力解析」「熱応力論」「高温強度論」等を講じるとともに、X線解折法に基づく金属材料の応力測定および塑性変形による組織変化の解析、ならびに耐熱鋼の高温強度に関する新しい実験的研究を行った。
昭和40年代には、平、昭和42(1967)年から助教授大谷隆一、昭和44(1969)および45(1970)年の間講師中西英介のもとで各種工業用金属材料の高サイクル疲労、低サイクル疲労、多軸応力下のクリープ、リラクセーション、高温疲労、熱疲労等、材料強度全般にわたる金属学的研究が展開され、疲労き裂やクリープき裂の伝ぱに関する破壊力学の先駆的研究がなされた。また、生体材料としての血管の変形に関する実験および解析が開始された。この間、世界各国の主要関係者間で材料の力学的挙動に関する国際会議の開催が企画され、昭和45(1970)年にわが国で第1回の会議が開かれ、平はその中心的役割を果たした。また、昭和46(1971)年には、材料強度学の研究に関して、平は横堀武夫(当時東北大学教授)とともに日本学士院賞を受賞した。
昭和50(1975)年機械工学第二学科が物理工学科に改組されたことに伴い、講座名が材料強度学講座に改められ、平が引き続いてこれを担任した。
平は昭和53(1978)年に逝去し、昭和57(1982)年大谷が教授に、昭和58(1983)年田中啓介が助教授にそれぞれ昇任し、材料強度と破壊に関する物性と力学についての実験的・理論的研究を推進した。大谷は本講座の20余年にわたる高温強度研究の流れを整理し、種々の強度問題をクリープ疲労に統合して破壊に関する現象と力学を体系化した。また、田中は室温における疲労と破壊問題を精力的に探究し、ミクロ破壊力学とマクロ破壊力学の結合をはかった。
平成3(1991)年、田中が名古屋大学教授として転出し、後任として講師北村隆行が助教授に昇任した。この頃から、耐熱合金以外に繊維強化複合材料、金属間化合物、エンジニアリングセラミックス等の各種高温材料の破壊に関する実験研究を展開するとともに、ミクロ破壊や損傷に関する数値シミュレーションを精力的に行い、また、微小素材の界面挙動に関する分子動力学的解析が開始されるようになった。同時に、政府関係や学協会の委員会を通じて、エネルギー関連材料の開発、機器・構造物の管理、およびそれらの将来構想に係わる技術に寄与している。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により材料強度物性学講座材料強度学分野に移行した。topに戻る
25. .材料物性学講座・材料強度物性学講座材料物性学分野
昭和50(1975)年に物理工学科が発足して材料物性学講座が設置された。昭和54(1979)年に教授三浦精が着任して本講座を担任し、物性理論を基礎として材料の力学的性質を微視的な観点から解明すべく格子欠陥、結晶粒界、界面の構造と機械的性質に関する結晶塑性学的研究を開始し、また、「機械材料学」「金属材料科学」等の講義を受け持った。
三浦は橋本敏とともに面心立方金属の単結晶・双結晶の変形機構の研究から結晶粒界や異相界面の塑性変形に及ぼす効果を追求し、三つの結晶が会合する結晶三重点の変形に与える効果を検討するために初めて三重結晶(トリクリスタル)の作製や、異相界面の変形への影響の解明のためα相とγ相からなる異相ステンレス鋼双結晶の作製を成功させ、これを用いて高温変形時の粒界や界面すべりと破壊に関する基礎的研究を行った。
昭和62(1987)年橋本は助教授に昇任し、金属結晶の変形と粒界・界面に関する研究をさらに発展させた。とくに方位制御された銅および銅合金の双結晶を用いる応力腐食割れと粒界構造に関する研究や粒界疲労破壊に関する研究は大きな進展を見せた。また、平成6(1994)年に講師尾中晋が着任し、分散強化合金の強化機構と高温変形に関する研究を行った。
昭和62(1987)年頃から研究室では全体の目標を「変形・破壊と粒界・界面構造」に置き、粒界環境破壊や粒界疲労破壊などの研究を双結晶・三重結晶・異相複合双結晶、形状記憶合金双結晶等を用いて積極的に行い、変形・破壊の基礎的解明に寄与するとともに、主として粒界・界面関係およびマルテンサイト変態の国際学会などを通じて学会に貢献している。
三浦は平成7(1995)年停年退官した。また、本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により材料強度物性学講座材料物性学分野に移行した。平成10(1998)年に北村隆行が教授に着任し、平成11(1999)年に橋本は大阪市立大学に転出した。北村は、分子動力学法等のミクロ解析や界面強度実験を通じて微小構造材料の破壊の研究を行っている。topに戻る
26. 流体機械学講座・物性分光学講座・物性工学講座応用分光学分野
昭和39(1964)年、機械工学第二学科に流体機械学講座が新設され、昭和40(1965)年、教授福田国彌が着任して講座を担任した。福田は「応用光学」「応用原子分子分光学」等を講じ、プラズマの分光研究を行った。
昭和50(1975)年の機械系工学科改組により、本講座は物理工学科物性分光学講座になった。福田は助教授石井慶之とともに「電磁気学」「原子分光学」「分子分光学」「プラズマ分光学」等を講じ、昭和58(1983)年に停年退官した。その間、プラズマ中原子のスペクトル線広がり、多価イオン・レーザー発振、アルカリ土類金属における二電子励起状態の同定と強制自動電離の観測など、プラズマを利用した原子過程研究を行った。
昭和63(1988)年に藤本孝が教授に昇任して講座担任となり、石井とともに「電磁光学」「原子・分子分光学」「プラズマ分光学」等を講じた。藤本はプラズマ分光学の体系化を試みるとともに、放電プラズマとレーザーの組み合わせを基礎として、それに強磁場、またエヴァネッセント光などを組み合わせてプラズマ分光学や原子過程の研究を行った。理学部・工学部共同提案により昭和60(1985)年に完成したプラズマ実験棟において、本講座は
トカマク装置WT-3の分光研究を担当し、プラズマの主成分である水素についてその分子種に対する原子分光法を開発した。プラズマ発光が偏光することを見いだし、偏光プラズマ分光学を開拓した。
本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により物性工学講座応用分光学分野に移行した。topに戻る
27. 熱流体物性学講座・物性工学講座熱流体物性学分野
熱流体物性学講座は、昭和50(1975)年物理工学科の設置に伴って開設され、助教授国友孟が講座の教育・研究に当たった。国友は昭和54(1979)年教授に昇任し講座を担任したが、昭和61(1986)年に逝去した。昭和63(1988)年牧野俊郎が助教授に昇任して講座の教育・研究に当たり、平成6(1994)年教授に昇任して講座を担任した。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により機械物理工学専攻物性工学講座熱流体物性学分野に移行した。その後、平成10(1998)年に松本充弘が助教授に着任し、本分野の教育・研究を分担している。この間、国友は「熱力学」「熱物性論」等の講義を担当し、牧野は「熱力学」「熱ふく射物性論」等の講義を担当してきた。松本は「工業力学」「統計熱力学特論」等の講義を担当している。
本講座における研究は、歴史的には蒸気工学・伝熱工学に源を発するものであったが、その後の熱工学分野の進展に応じて、工業装置や自然界の実在系における熱・ふく射・流体現象の解明と制御をめざす物理工学的な内容のものに変化していった。国友は、輝炎や赤外活性気体の熱ふく射性質、固体材料の熱ふく射性質、ふく射・伝導・対流共存熱伝達、太陽エネルギーの熱利用、環境熱工学などの研究を進め、牧野は、高温の固体・液体の熱ふく射性質、固体の実在表面におけるふく射現象、表面の温度・性状の光学診断法、伝熱過程の分子動力学などの研究を進めてきた。松本は、分子シミュレーションなどの計算工学的手法による流体相変化や伝熱現象の理論解析を進めている。topに戻る
28. 量子物性学講座・物性工学講座量子物性学分野
量子物性学講座は、機械系工学科の改組により、昭和51(1976)年に新設された。昭和54(1978)年、万波通彦が担任教授に就任し、平成元(1989)年、木村健二が助教授に昇任した。万波と木村は「量子物理学」「固体物性学」「固体物理学特論」等の講義を担当あるいは分担した。
万波は、高速イオンと固体の相互作用の基礎過程を単結晶におけるイオンチャネリングを用いて研究するとともに、昭和60(1985)年以降は、超高真空中の清浄単結晶表面におけるイオン小角入射散乱を利用して、高速イオン・表面相互作用の研究を始めた。高速イオンと表面の非弾性相互作用が表面からの距離に依存することを示し、高速イオンのエネルギー損失、表面とイオン間の電子の移行現象の詳細を明らかにした。また、これらイオンの表面小角散乱現象の特性を利用して、エピタキシャル成長中の結晶表面のその場観察法を開発し、結晶成長過程の研究に新しい手法を提供した。本講座は、平成6(1994)年、大学院重点化に伴う改組により物性工学講座量子物性学分野に移行した。万波と木村は新設のメゾスコピック物性工学講座に移り、上記の研究を続けた。
平成10(1998)年、教授立花明知が着任した。立花は、大学院においては「量子物性学」、学部においては講師谷村省吾と「量子物理学」「工業数学」等の講義を担当あるいは分担している。
量子化学理論研究に基づき、分子動力学、化学反応座標、界面電子移動の量子理論と、これらを応用した量子分子物理学、物性化学物理学に関連する非断熱遷移、量子・光デバイス材料のミクロ素子ピック射構造・物性の理論研究等を進め、最近では、シリコン酸化膜、Cu配線、ナイトライド系・-・族化合物半導体材料に関する電子状態と化学反応性の新しい理論的成果等を得ている。topに戻る
29. メゾスコピック物性工学講座
メゾスコピック物性工学講座は、平成6(1994)年に大学院重点化に伴う改組により設置された大学院専任講座である。物性工学講座量子物性学分野から教授万波通彦と助教授木村健二が講座所属換になり、上項の研究を続けた。
平成10(1998)年に万波が停年退官し、平成11(1999)年に木村が教授に昇任して本講座を担任した。木村は、高分解能ラザフォード後方散乱法を開発して、イオンビーム分析法で初めて1原子層ごとの組成分析が可能であることを示した。この高分解能ラザフォード後方散乱法を、エピタキシャル成長初期過程の観察や表面異常偏析現象の発見、表面酸化反応初期過程の解明などに応用して成果を挙げるとともに、装置の小型化を進めてその普及に努めている。topに戻る
30. 放射線物性学講座中性子物理工学分野
中性子物理工学分野は、平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組に際して、機械物理工学専攻協力講座として新設された放射線物性学講座2分野の1つである。平成6(1994)年以来、原子炉実験所教授宇津呂雄彦が担任している。宇津呂は同年に昇任した助教授川端祐司とともに「中性子物理工学」「先端物理工学実験法」の講義を担当または分担している。
低速度の中性子が物質に入射すると回折や反射等の現象を起こすが、この中性子の波動特性は電磁波のそれとは異なる。中性子には、原子と同程度の質量をもち、電荷をもたず、磁性をもつ等の特徴がある。この特徴を利用し、液体重水素等を用いた冷中性子源設備、超精密研磨を用いた金属中性子鏡、人工多層膜を応用した高性能中性子鏡、回転する中性子鏡により中性子を減速させるスーパーミラー中性子タービン、ドップラーシフター等を開発した。これらにより極限までエネルギーを下げた超冷中性子を発生させ、それを金属製容器に閉じ込める中性子ボルトや精密中性子制御機器を開発して、精密量子波動光学とその物質研究に応用する新しい科学分野の開拓を進めている。topに戻る
31. 放射線物性学講座放射線材料学分野
放射線材料学分野は、平成6(1994)年の大学院重点化に伴う改組に際して、機械物理工学専攻協力講座として新設された放射線物性学講座2分野の1つである。平成6(1994)年以来、原子炉実験所教授義家敏正が担任している。義家は「高エネルギー材料工学」の講義を担当し、「先端物理工学実験法」を分担している。
材料に高エネルギー粒子が入射すると、粒子はそのエネルギーを失うが、同時に材料中に複雑な固体内反応を引き起こす。本分野では高エネルギー粒子による材料照射効果の研究を、固体内反応の基礎過程の解明、その反応を制御して原子炉材料、核融合炉材料及び航空宇宙産業用材料等の耐照射材料の開発、並びにその反応を積極的に利用して、新しい性質をもつ材料の開発を目的として行っている。topに戻る
32. オートメーション研究施設プロセス自動制御装置部門
オートメーション研究施設は、自動制御工学の理論と実際とを融合させることを目的として昭和34(1959)年に工学研究所修学院分室において発足し、その後、昭和44(1969)年に宇治キャンパスに移転した。そして平成元(1989)年には応用システム科学専攻の基幹講座に組織替えとなり、オートメーション研究施設は廃止された。
本施設の一部門であるプロセス自動制御装置部門は、当初教授沢村泰造が担当したが、沢村が昭和38(1963)年精密工学科に移った後、昭和41(1966)年に花房秀郎が教授に着任した。昭和61(1986)年花房が退官した後は吉川恒夫が教授に着任した。当部門は平成元(1989)年のシステム科学専攻の基幹講座への組織替えまで、機械工学および精密工学専攻の学生の教育に携わった。
プロセス自動制御装置部門では、当初、油圧、空気圧制御の研究を行っていたが、その後、ロボットの機構と制御の研究へとその幅を広げた。油圧、空気圧制御の分野では、油圧サーボ機構、フルイディクスなど流体制御機器およびその回路構成に関する基礎的研究や、関節形ロボットアームの油圧ならびに空気圧駆動系の設計などにおいて種々の先駆的な成果を挙げた。また、ロボットの機構と制御の分野では、弾性指を有するロボットハンドによる把持と操り、冗長性を有するロボットアームの解析と制御、ロボット機構の操作能力の評価、マスター・スレーブシステムの制御などの研究において世界的に認められる業績を挙げた。topに戻る
33. メゾ材料研究センター メゾ材料評価学分野
メゾ材料の設計・創製のための方法論の構築とメゾスケールでの構造・性質の制御と評価技術の開発を目的として、メゾ材料研究センターが平成4(1992)年に設置された。メゾ材料評価学分野には平成4(1992)年、教授落合庄治郎と助教授北條正樹が着任した。本分野は機械系工学専攻に協力する分野として学生の教育を分担している。
本分野では、最先端メゾ材料の開発に要求される高精度物性評価法、メゾ領域構造評価法および物性のメゾ構造依存性評価法の構築を目的として、高強度材料としての複合材料と高機能材料としての超伝導材料を対象に研究を進めてきた。界面・層間剥離、繊維のプルアウト、繊維架橋等のメゾスケール力学事象の素過程のモデリング、メゾスケール力学事象の集積と材料マクロ特性の相関のモンテカルロシミュレーション評価法の構築、メゾ要素力学応答評価装置の開発、メゾスケール構造に着目した高臨界電流密度化と高強度化、メゾスケール構造の力学応答と臨界電流密度および上部臨界磁場の相関評価法の開発などが主な成果である。topに戻る
34. 生体医療工学研究センター生体機構学領域・再生医科学研究所生体機械工学分野
平成2(1990)年に医工学の基礎研究と臨床応用を目的として生体医療工学研究センターが設置され、同センター生体機構学領域に教授池内健が着任した。平成10(1998)年には組織の再生とその臨床応用を目的とする再生医科学研究所の設置にともない同研究所生体機械工学分野に配置転換となった。本分野は機械系工学専攻に協力する分野として学生の教育を分担している。
本分野では病気を治療して人間の機能を再生し生活の質を高める研究を行っている。人工関節におけるトライボロジー、膝関節の力学特性の解明などの研究成果は世界的に認められている。また、内視鏡、カテーテル、体内ロボット、ステントなどの新しい医療機器と福祉介護機器の開発も行っており、そのうちのいくつかは製品化されつつある。topに戻る
35. エネルギー変換システム学講座熱エネルギー変換分野
平成8(1996)年にエネルギー科学研究科が創設された。エネルギー変換科学専攻エネルギー変換システム学講座熱エネルギー変換分野には工学研究科エネルギー応用工学専攻エネルギーシステム工学講座動力工学分野が移行した。それに伴って教授池上詢が工学研究科から配置換になり、平成11(1999)年に停年退官するまで担任を務めた。また、エネルギー科学研究科の創設にともない助教授石山拓二が本分野に着任し、「熱エネルギーシステム設計」「動力システム」「内燃機関」等の講義を担当している。
池上と石山は、ディーゼル機関、火花点火機関、ガスタービン機関などの内燃機関をはじめとする熱機関と、それを中心とした動力システムの高効率化を図るため、システムの性能解析、ガス流動と燃焼過程の解明、ならびに微粒子、未燃炭化水素および窒素酸化物など排出汚染物質の発生原因の解明とその低減に関する実験的・理論的研究を行っている。そのほか、水素、天然ガスなど代替燃料を利用する機関の熱効率向上と排気浄化、エネルギー損失の積極的な低減、回収のためのエンジンシステムの総合的検討などが主要なテーマである。topに戻る
36. .エネルギー変換システム学講座変換システム分野
平成8(1996)年のエネルギー科学研究科の創設に際し、変換システム分野が新設され、教授塩路昌宏がエネルギー応用工学専攻エネルギーシステム工学講座動力工学分野助教授から昇任し、講師玉川雅章が着任した。本分野では「熱力学」「システム工学」「エネルギー変換工学」「燃焼理工学」「熱流体科学」等の講義を担当している。
塩路と玉川は、熱流体科学を基礎とするエネルギー変換システムの設計・制御・評価を目的とし、均一および不均一混合気の着火と燃焼、有害物質生成の反応動力学、乱流拡散火炎における乱流混合とその作用、流速・温度・濃度などのレーザー計測・画像解析、ガス流動と燃焼の数値流体力学シミュレーションなど燃焼診断・予測手法に基づく研究を行っている。さらに、流体エネルギーが生体組織・細胞に及ぼす力学的作用、衝撃波伝播ならびにせん断乱流場解析の数値計算法の開発を行い、解析手法を医用流体機械の開発・設計支援用に実用化するとともに、生体医療工学や流体工学の応用分野へ活かせる研究に発展させることを目指している。topに戻る
37. エネルギー機能設計学講座エネルギー材料設計分野
エネルギー材料設計分野には工学研究科エネルギー応用工学専攻エネルギー材料工学講座エネルギー材料設計学分野が移行した。それに伴って教授井上達雄が工学研究科から配置換になり、また助教授今谷勝次が着任した。本分野では「材料力学」「連続体力学」「塑性力学特論」「エネルギー材料設計論」等の講義を担当している。
井上と今谷は、エネルギー変換に使用される各種機器および材料の設計法の確立のための教育と研究を行うため、その基礎理論となる連続体熱・力学を中心に有限要素法や分子動力学法を用いて、材料の創製と設計ならびに実験的検証、高温機器の強度と変形の解析、材料プロセッシングにおける熱・力学的挙動の解明などを主な研究対象とし、とくに、温度-組織-応力(変形)が連成した複雑な場の解析手法の確立と応用に力を注いでいる。topに戻る
38. エネルギー機能設計学講座機能システム設計分野
平成8(1996)年のエネルギー科学研究科の創設に際し、機能システム設計分野が新設され、教授松本英治が工学研究科機械工学専攻助教授から昇任し、また、助教授星出敏彦が工学研究科エネルギー応用工学専攻から配置換になった。本分野では「材料力学」「システム強度論」等の講義を担当している。
エネルギー変換機器の効率を高めるには、より優れた材料を用いるとともにその安全性確保のために適切な強度評価手法を確立する必要がある。松本と星出は、電磁気材料・形状記憶材料・傾斜材料などの機能材料やより耐熱性のある熱変換材料として金属・高分子・セラミックス系先進材料に着目し、その変形、電磁気的性質、破壊などを理論、コンピュータ・シミュレーション、実験により解明するための研究を行っている。さらに電磁気デバイスや熱機関などのエネルギー変換システムにおいてそれらの材料を最適に構成する設計法の確立を目指している。とくに、形状記憶合金、電磁気材料などの機能材料のモデル化、機能材料を応用したアクチュエータやセンサなどの機能システムの製作と知的複合材料への応用、超音波や電磁場を用いた材料の非破壊評価、耐熱構造用セラミックスの強度特性評価と破壊モデルの構築およびそれに基づいた数値シミュレーション、セラミックス薄膜材料の創製と力学的特性評価およびその分子動力学的解析、金属材料の汎用的な疲労寿命評価のための疲労強度コンピュータ・シミュレーション等が主な研究テーマとして挙げられる。topに戻る
39. 人間機械共生系講座機械システム制御分野
機械システム制御分野は、平成10(1998)年に情報学研究科創立とともに設立され、教授杉江俊治と助教授大須賀公一により運営されている。講義は「制御工学」「機械システム制御論」等を担当している。杉江は制御系設計理論を主とした研究を進めている。具体的には、環境変化などの影響を受けにくいロバスト制御理論に関する研究、制御の基礎を成すシステムモデリングの研究、非線形制御理論の研究、さらにはこれらのメカトロニクス系への応用に関する研究に力を注いでいる。大須賀はロボット制御を主とした研究を進めており、受動的歩行ロボットの開発とその運動解析を通して新たな制御原理の開発や、ヒューマノイド研究の一環として機械式音声合成装置の開発を行っている。さらに脚型レスキューロボットの開発を行っており、レスキュー工学の構築を目指している。topに戻る
40. 人間機械共生系講座ヒューマンシステム論分野
ヒューマンシステム論分野は、大学院情報学研究科の創設に伴い、平成10年(1998)年に新設され、熊本博光が担任教授に、西原修が助教授に、平岡敏洋が助手に就任した。熊本は「ヒューマンシステム論」「システム安全論」「信頼性工学」「工業数学」の講義を、西原は「工業力学」等を担当している。ITS(Intelligent
Transport System、高度道路交通システム)については、人間機械系としての自動運転とドライバの協調、自動運転のロバスト性、ドライビングシミュレータと交通流シミュレータ、新技術が交通事故に与える影響評価などの研究を行っている。情報、システムと機械力学の総合によるヒューマンシステム研究をモットーとしている。topに戻る
41. 人間機械共生系講座共生システム論分野
共生システム論分野は、人、機械、環境の三者が互いに調和の取れた安定した関係を形成するために必要とされるシステム要件の解明とその実現法について研究・教育しており、大学院では「知的協調システム論」が、学部では「システム工学1」、「人工知能基礎」が講じられた。
教授片井修は、自己組織系・複雑適応系による自律的・創発的なシステムの構築と運用、行動ベースAIと生態心理学によるロボット−人間系の構築、様相論理に基づいたプラント運転支援やマルチエージェントシステムの構築、学習・進化型計算やファジィ情報処理による適応・最適化や知的制御の方法、グループダイナミクスに基づいた社会システムの形成や動態ついての研究などを行った。助教授川上浩司は、上記の研究を拡張し、社会や環境と共生可能で健常者と高齢者や障害者を分け隔てないユニバーサルデザインの方法などについて研究を行った。
この『小史』は、京都大学機械工学教室が平成9(1997)年に創設百周年を迎え、また、平成12(2000)年に卒業生百周年を迎えた折に、教授矢部寛・教授牧野俊郎を代表者とする小史編纂グループが、機械工学関連教室・専攻の歴代教官の執筆になる記述を編修したものである。本稿の一部は、昭和42(1967)年発行の『京都大学七十年史』、および平成9(1997)年10月発行の『京都大学百年史「部局史編二」』の原稿と重複する。記して関係各位に感謝する。topに戻る
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